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ペトログラフ

ペトログラフとは…

ペトログラフとは
ギリシャ語で、ペテロ:peteroは、を意味し、グラフ:graphは、文様や文字を意味する。古代人が岩石に刻んだ文字や文様の事で、「原初文字」と言われるものである。
ペトログラフの研究は、今世界的に広がっていて、日本でもたくさん発見され、6,500年前には、文字を使う人々がこの列島にいた事が事実として受け入れられている。

彦島のペトログラフ

彦島杉田遺跡

関門海峡の「武蔵・小次郎の決闘の場」として有名な巌流島を真下に見下ろす形でこんもりとした丘陵、それが、杉田丘陵である。その頂上に1メートル角大の岩が数個あり、最も大きい平たい岩に不思議な絵とも文様ともつかぬものが見つかったのは、大正13年(1924年)の事であった。
「恐れの杜(おそれのもり)」「祟り岩(たたりいわ)」と呼ばれたり、「こっそりと願い事をすると叶えられる岩」として地元では、よく知られていた。
杉田丘陵は、関門海峡を見渡し、反対側の響灘の一部も見渡せる場所であるため、古来、戦略上の重要拠点であった。

杉田遺跡は、「彦島神殿」か?

この遺跡の岩から、合計30個のペトログラフが検出され、それらの文字は、セム語系(シュメール、バビロニア文字)北方ツングスのエニセイ文字系のものが入り混じったものである事が指摘された。 その多くの文字は、紀元前2000年から紀元300年頃までの幅広い年代のもので、発掘品がないために、絶対年代の特定は出来ない。
しかし、「古代のいつの時代か、シュメール文字を知っていた集団が何らかの形で彦島に上陸し、祭祀(さいし)をした神殿ではないか。」と推定する学者もいる。

彦島八幡宮にあるペトログラフ

彦島八幡宮にあるペトログラフ
彦島八幡宮境内にぺトログラフのある神霊石が、安置されたのは、昭和57年5月の事である。
もともと境内にあるものが発見されたのではなく、運び込まれたものである。

不思議な庭石

山陽町のある家の庭でペトログラフの岩4個が見つかった。
実は、下関造船所前の道路工事の折り、大きな岩10個が出土したので、庭石用にと貰い受け自宅に運んだ。
ところが、原因不明の不幸な出来事が相次いでおこり、「もしやあの岩に何かあるのでは?」と調べてみると、ペトログラフが検出、解読された。
そして、「泳ぐ岩」の傍ら、彦島八幡宮境内に安置され、いわば、下関造船所前から出土の岩が集合した事になる。

泳ぐ岩

泳ぐ岩
彦島江ノ浦町6丁目の三菱重工業(株)下関造船所のドックと巌流島の海底を、いつも移動している岩があり、進水式のたびにその岩が、泳いで来て邪魔をするので、「あの泳ぐ岩は何かの神霊(しんれい)の宿るものだ。祟り(たたり)のないよう引き上げてほしい。」という事になり、昭和57年4月に境内に安置された。

境内にある7つの岩の解読

7つの岩の解読
右図の解読により杉田丘陵した海岸神殿のものと見られるこれら7個の岩は「日の神や大地の女神、大気の神、天なる父神などに、豊穣をもたらす雨を、男女神にかけて、日の王(日子王=古代彦島の王)が祈り奉った」と解釈できる。
「泳ぐ岩」1個ならまだしも、多くのペトログラフが三菱下関造船所前から見つかり、造船所構内からも出土しているところからも、古代には、杉田丘陵頂上の彦島神殿の他に、これを遥拝する形での「彦島第二神殿」とでも言うべきものが、現在の三菱造船所前小公園あたりの海岸部にあった事が推定できるのである。

彦島宮の原遺跡

境内には、昭和33年8月に、山口大学考古学小野教授(当時)発見による宮の原遺跡があり、縄文前期後期の土器や石族、石斧、石錘、石砥等三千余点が出土し、古代人の居住が確認された。
昭和34年に発掘調査が行われ、「曾畑式土器」が多く出土した。その多くは、下関考古学資料室に委託収容されている。
※曾畑式土器とは、熊本県宇土市曾畑貝塚から出土する土器を指標として名づけられた。
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