彦島神社めぐり
彦島神社めぐりマップ【※注意:番号は順路ではありません】
推奨コース
【彦島内すべての神社の御朱印を拝受される場合】
最初に彦島八幡宮へ御朱印帳をお預けください。
彦島八幡宮と境内に鎮座する摂社2社とペトログリフをご参拝後以下のコースで巡拝いただき、最後に再び彦島八幡宮へお戻りになられた頃には浄書が済みスムーズにお渡し可能です。車の場合、所要時間は2時間~2時間半程度です。
ただし、全ての神社ご参拝後に、御朱印帳をお預かりしてご記帳する場合、30分程度お待ちいただきます。予め、ご了承下さい。
彦島八幡宮・境内社(若宮神社・大歳神社・ペトログリフ)【社務所にて御朱印帳をお預けください】
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竹ノ子島金刀比羅宮・竹ノ子島天満宮【※御神殿は一つです】
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貴布祢神社・貴布祢稲荷神社
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恵美須神社
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田の首八幡宮
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塩釜神社
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福浦金刀比羅宮・福浦稲荷神社
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彦島八幡宮
※舟島神社へは下関市街地 唐戸桟橋から巌流島行き渡船で10分程度です。
※六連島八幡宮へは竹崎桟橋から六連島行き渡船で20分程度です。六連島渡船場から神社まで徒歩で10分。ただし、帰りの定期船が極端に少ないのでご確認の上、ご参拝下さい。
御本宮ドローン空撮【撮影協力:ドローンスクール下関】
鎮座地 | 下関市彦島迫町5丁目12-9 |
駐車場 | 境内駐車場70台分完備(大型バス可) ※正面大鳥居より入場下さい。 駐車場から徒歩すぐです。階段も少なく、車いすの方も左側スロープ参道よりご参拝いただけます。 |
御祭神 | 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 仁徳天皇 |
例祭日 | 10月21日に近い日曜日
無形民俗文化財「サイ上がり神事」斎行 |
由緒
平治元年(1159年)10月15日、本島開拓の主祖・河野道次自ら祭主となり宇佐神宮より御祭神を勧請する。1名灘八幡と言っただけに宮の沖合いを通過する船は必ず「半帆」の礼をとったと云われる事から造船、漁業関係者の崇敬が厚く、また、安産の神として別名「子安八幡」と崇められて併せて武神、文化神、生産神として御霊験あらたかな神様である。
当宮創祀者である河野通次は保元元年(1156年)保元の乱(後白河天皇と崇徳上皇間の皇位継承問題と、藤原忠通と藤原頼長間の摂関家の内紛によって源氏と平氏を巻き込んだ権力争い)に敗れた後、園田一覚、二見右京、小川甚六、片山藤蔵、柴崎甚平を率いて彦島の地に敗走し、その二十有余年後には、植田治部、岡野将監、百合野民部、和田義信、登根金吾、富田刑部が来島して総勢12名の将を中心に一族郎党が農耕漁釣に精を出し彦島を開拓した。
当宮創祀者である河野通次は保元元年(1156年)保元の乱(後白河天皇と崇徳上皇間の皇位継承問題と、藤原忠通と藤原頼長間の摂関家の内紛によって源氏と平氏を巻き込んだ権力争い)に敗れた後、園田一覚、二見右京、小川甚六、片山藤蔵、柴崎甚平を率いて彦島の地に敗走し、その二十有余年後には、植田治部、岡野将監、百合野民部、和田義信、登根金吾、富田刑部が来島して総勢12名の将を中心に一族郎党が農耕漁釣に精を出し彦島を開拓した。
みどころ
- 境内一帯が宮ノ原遺跡(縄文時代初期の土器出土)
- ペトログリフ奉安(シュメール文字解読の古代文字刻銘の神霊石)
- 御神殿は文政3年(1,820年)に再建され現在に至る
- 楼門(随身門)は明治2年に再建現在に至る
- 拝殿向拝の「光格殿」扁額 ※当宮の発祥
- 仲哀天皇御弓立の松
- 仲哀天皇駐屯地の碑
- 桜の名所
地図
鎮座地
| 下関市彦島迫町5丁目12-9 ※彦島八幡宮境内
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若宮神社(境内摂社)
由緒
創建不明。御祭神は第16代仁徳天皇。
元来、現在の彦島迫町にあった神饌田の守護神として、神饌田の傍らに氏子によって祭祀された。
終戦後の農地改革に伴い、現在地である境内に摂社として遷座する。
毎年9月10日に近い金曜日が例祭日とされ、二日間にわたり平家踊りが奉納される。
大歳神社(境内摂社)
由緒
創建不明。御祭神は大年神(おおとしのかみ)。
水源が欠乏している彦島にあって、戦前は現在の彦島迫町荒田地区を中心に一部で稲作が行われ、稲作に従事した氏子が水田の傍ら祠を建て大年神を祀ったとされる(彦島十二苗祖口伝)。終戦後、若宮神社と共に境内に摂社として遷座する。
毎年10月17日が例祭日である。
文古代文字刻銘の神宿る磐座ペトログラフ
由緒
三菱重工業(株)下関造船所のドックと巌流島の海底を泳ぐ(移動する)不思議な磐が発見され、磐には原初文字であるシュメール文字(諸説あり)で解読できる古代文字が刻銘されていた。大正期には彦島に存在するもう一つのペトログラフが杉田丘陵(彦島江の浦町5丁目12付近)の頂上で発見され「恐れの杜」や「祟り磐」と地元の人々から恐れられる一方で、秘かに願い事をすると必ず叶うとされる伝承もある。神秘の霊力を発動すると謂われる神霊石を昭和57年より境内に奉安している。
地図
こちらは二社分の御朱印がございます。
鎮座地 | 下関市彦島老町1丁目11-13(県道251線沿いの鳥居が目印) |
駐車場 | 有。階段下の空きスペースに駐車できます。 |
御祭神 | 高龗神 稲荷大神 |
例祭日 | 貴布祢神社=9月23日 貴布祢稲荷神社=6月第2週 |
由緒
弘安元年(1278年)創建。通称「牛の宮」と崇められ、牛馬安全を祈念する信仰があった。神門は、長州藩の孫藩である清末藩の毛利家の門の一部を移築したものである。桜の名所としても名高い。境内からは下関漁港が一望できる。
地図
鎮座地 | 下関市彦島海士郷町7-6(県道251線沿いの鳥居が目印) |
駐車場 | 無。神社前の道路にハザードを点灯させ、停車後、ご参拝下さい。 |
御祭神 | 恵美須大神 |
例祭日 | 6月10日 ※夏越祭の海上渡御の御座船を選出する神占の特殊神事を執行 |
由緒
創建不詳であるが、江戸時代初期には既に鎮座してある記述が残る。現在は山口県漁業協同組合彦島支店の守護神として組合員を中心に奉護されている。
地図
こちらは2社分の御朱印がございます。
鎮座地 | 下関市彦島竹ノ子島町6-36(竹ノ子島橋を渡って左斜めの小高い場所に鎮座) |
駐車場 | 無。竹の子島橋付近の道路傍ら空いたスペースに駐車下さい。 |
御祭神 | 大物主神 崇神天皇 菅原道真公 |
例祭日 | 金刀比羅宮=4月第1日曜日 天満宮=7月15日 |
由緒
文政3年(1820年)創建。漁業農業造船業の崇敬者が多く産業の神様として崇められる。
境内からは河豚の水揚げ日本一を誇る南風泊市場がみえる。
地図
鎮座地 | 下関市彦島福浦町1丁目27-1 |
駐車場 | 有。階段下の左側に駐車下さい。 |
御祭神 | 大物主神 崇神天皇 |
例祭日 | 金刀比羅宮=5月第3日曜日 稲荷神社=初午もしくは二の午日 |
由緒
天保元年(1830年)創建。
日本一と称される急斜面の参道270余りの石階段があり、頂は富観台と呼ばれ以前は眺望が綺麗であった。北前船の風待宿場として栄華を誇った福浦港関係者の寄進が随所に見受けられる。幕末は吉田松陰大人命が海防調査で登拝した記録が「廻浦記略(かいほきりゃく)」に残る。
地図
鎮座地 | 下関市彦島塩浜町1丁目8-21
※市営彦島塩浜住宅左手の八十八ヶ所札所の隣に鎮座 |
駐車場 | 無。市営彦島塩浜住宅の周辺に駐車下さい。 |
御祭神 | 塩土老翁神 |
例祭日 | 5月3日 |
由緒
創建不詳。江戸時代に塩田の守護神が祀られている記述が残る。
地図
鎮座地 | 下関市彦島田の首町1丁目7-1 |
駐車場 | 有。鳥居を潜り坂を上り下さい。 車高が低い車は、車両下部が地面に接触しますので、ご留意下さい。 |
御祭神 | 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 |
例祭日 | 10月第2日曜日 |
由緒
明徳2年(1391年)彦島八幡宮より勧請。彦島八幡宮の兼務社である。本殿は荘厳な瓦葺の屋根である。境内からは関門海峡の眺望もよく、対岸の北九州市門司区まで見渡せる。
地図
舟島神社
関門海峡に浮かぶ巌流島の守護神社
鎮座地 | 下関市大字彦島字船島 ※唐戸桟橋より関門汽船に乗船 |
駐車場 | 唐戸桟橋付近のコインパーキングに駐車下さい。 |
御祭神 | 龍神大神 地神大神 |
例祭日 | 毎年4月第2土曜日 |
由緒
佐々木小次郎と宮本武蔵の決闘の聖地である巌流島(正式名称=船島)の守護神社で創建年は不詳である。昭和初期は当時の日本軍の要塞地帯として非常に規制が厳しかったが、戦後は30世帯が暮らし、鎮守として奉護してきた。昭和48年より無人島となり、平成15年より当宮にて祭禮を復活させ現在に至る。
令和4年に台風やシロアリによる倒壊の為、彦島自治連合会を中心に再建整備された。
毎年佐々木小次郎剣客の命日4月13日に近い土曜日に一年に一度の例祭を斎行している。