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八幡さまの知恵袋

その一 神棚(かみだな)のまつり方について

 神社で頂いたお紙札(おふだ)は、神棚にお祀(まつ)りします。
神様と一緒に生活をともにしている意識こそが、心の安らかさを与えてくれます。
家の中の明るく清らかな高いところが良く、向きは南向き東向きが良いとされています。
お札には、伊勢の神宮のおふだ・氏神様のおふだ・信仰する神社のおふだにわけられます。神棚には、伊勢神宮と氏神様のおふだは、必ずおまつりします。

  日本にはさまざまの姿を変える四季があり、この美しい四季や、自然との調和によって稲作はいうまでもなく日本文化が誕生してきたのです。この自然をてらし育てる日の神の象徴とされているのが伊勢の神宮におまつりされている天照大神(あまてらすおおみかみ)さまです。
この伊勢神宮のおふだが「神宮大麻(じんぐうたいま)」です。当宮では年の瀬からおわけ致しております。神棚には毎日朝、米(洗い米かご飯のお初)・塩・水(毎朝のお初)をお供えし、珍しい物や四季の初物を得たときには、そのつどお供えするのも良いでしょう。

  一年間お守りいただいた古い御神札は、当宮にお納め下さい。一月一五日と二月節分に焼納致します。御神札を年毎に新しくお改めするのは、神様は、清浄(せいじょう)を第一とされる事、また若返られた神様の強いお力によって一層の守護を願うという、祖先より受け継がれてきた伝統的信仰にもとづくものです。

イ.お神札(ふだ)の順位について

横に並べておまつりするときは、
(三社造りの場合)
一つに重ねておまつりするときは、
(神棚の扉がひとつの場合)
中央
伊勢神宮のお神札
一番表
伊勢神宮のお神札
(向かって)
氏神のお神札
氏神のお神札
そのほかの信仰される神社のお神札
最後に
そのほかの信仰される神社のお神札
 の順に並べておまつりするのがよいでしょう。

ロ.お供え

神棚には、毎朝、心を込めてお供えします。
お供え物は、米・塩・水で、米は洗米かご飯のお初、水は、毎朝の初水を三方か折敷にのせてお供えします。 珍しいものや四季の初物など喜ばしい品を得たときには、お供えするのもよろしいでしょう。

その二 七五三の参拝について

 七五三参拝は、子供の成長を喜び又神様に報告申し上げ、今後の守護を祈るものです。
三歳(男女)は、短くして髪を初めて伸ばす「髪置(かみおき)」五歳(男子)は、初めて袴を着ける「袴着(はかまぎ)」七歳(女子)は、着物の付け紐を取り、初めて帯をしめる「帯解(おびとき)」とゆうふるいしきたりに由来しています。
又、奇数を陽の数とする考え方に基づいているようですが、三歳で言葉を解し、五歳で知恵づき、七歳で乳歯がはえかわるというように、生理的医学的に見ても幼児発育上の大切な時期にあたります。
子供の成長の段階毎に、健やかな発育を氏神様に祈ることは子供を思う親の心情であります。このうるはしい伝統的風習に思いをはせ、今年七五三をむかえるお子様をご家族の方々と共に心から、温かく祝福申し上げたいものです。

その三 厄年年祝いについて

イ.厄年

 厄年は、古来より人生の転換期にあたり災いの多き年といわれています。
特に、男子四十二才女子三十三才は、大厄とされ、前後の年を含め前厄・本厄・後厄の三年間身を慎み、氏神様の御加護を願う年とされています。
ご神前に額突かれ、感謝と反省と今後の発展を祈り願うことに大きな意義があります。
厄を祓い清め、大厄を大躍(厄)進飛(厄)躍の年として下さい。

ロ.年祝い

 年祝いとは、長き年月神様から生かされて過ごすことが出来た事への感謝の気持ちを込め行うお祝いの行事であり家が栄え、自分も落ち着きを加えしみじみと御神恩を感謝申し上げます。
語呂合わせのような祝いの年ですけれども、御家族揃ってお年寄りに感謝しお祝いをして労う事も大切なことです。

その四 お祓い(おはらい)について

 神社の祭典や神事の前には必ずお祓いをいたします。
また、神社に参拝するときには必ず手水(てみず)を使い身と心を清めます。
これは、人は、神様の子でありますから清らかな心と健全な肉体をさずかっているのですが、世の中のいろいろな不浄なものにふれて尊い心を見失いがちで、幸いや不幸にあう事があります。
お祓いは、その一部の不幸を取り除き、清らかな心で、健康で幸せな生活を祈るためなのです。
 
「ありきつつ きつつくれども いさぎよき 人の心さへ 我わすれめや」という新古今和歌集の歌がありますが、長い人生を見たときに、心の清らかなるものこそが神の御心に叶うものであるようだと詠んでおります。
 
 神社に参拝されたり、お祓いを受けられますと、身も心も晴れ晴れとしたお気持ちを抱かれる事かと思います。
この気持ちこそが、神様がおあたえくださるご利益だと考えます。

その五 参拝の作法について

 前回は、お祓い(おはらい)について取り上げまして、身も心も晴れ晴れとしたお気持ちこそが、神様のお与え下さるご利益である旨したためました。
今回は、そのお与え頂いた清浄なる気持ちで参拝する正しい作法についてとりあげたいと思います。
参拝の作法は、永い間の変遷を経て「二拝二拍手一拝」という作法になっています。
 
「まず心を静め姿勢を正しますそして二度深く拝礼します。次に二度拍手をします。胸の高さで両手を合わせ祈念をこめて、右指先を少し下にずらします。肩幅程度に両手を開いて、二回打ち合わせます。そしてもう一度深く拝礼します。」
 
 拍手は、柏(かしわ)のように両手の指を揃えて打ち合わせるので拍手(かしわで)を打つなどといわれています。今でもうれしいとき、たたえるときに拍手をしますように神前で打つ拍手も神様に誠の心をささげ恵みを頂いていることに心から感謝して打つものでありまして心を一つにして祈りそして、感謝を表したものなのです。心が込められていれば作法なんてどうでもいいのではとお考えの向きもありますが、神様への至誠敬虔(しせいけいけん)敬う誠の心を表したものが参拝の作法であり、それがお祈りする心の形なのであります。何事も心が素直に表された形は自然で、また美しくもあり人々の共感を呼び起こすものであります。

 述べてまいりましたように参拝の作法は、決して難しいものではありませんが、繁雑な日常生活に追われますと忘れてしまいがちですが、参拝されます時には、心静かに思い浮かべ大きく澄んだ拍手を響かせられまして、尊い神様の御恩頼(みたまゆのふゆ)をお受け下さい。

その六 数え年について

 今回は、数え年についてお話します。
数え年と耳にしますと、古くさいとお考えになったり、よくわからないとおしゃる方も多いです。
それもそのはず、戦後は、米国式の満年齢を使うようになったのですから。

 現在日本は、世界有数の工業先進国でありますからピンとこないかも知れませんが稲作を中心とした文化を有する農耕民族なのですよ。
というのは「稲」の別名で稲作の周期が一年なのです。稲は、生きる根・生きていく上で根本的に大切なものであるという意味が込められているのですが、永い悠久の歴史の中で、稲作が日本人の生活に深く関わり独自の文化を作り上げたのです。
新しい年を迎えると、実りの秋を迎えるための意気込みと共に年をひとつ加えます。
お正月は、晴れ晴れとした雰囲気でありますが、本当は、その年の実りある収穫のためのお籠り(おこもり)なのです。

 人の生命の誕生は、母親の胎内にて十月十日過ごしこの世に産声をあげるのですけれども、この胎内では人類が何億年かかって進化したプロセスをたった十月十日でおこなってしまうといわれています。
この奇跡的な人類の神秘、生命の神秘というものを尊び、生まれた年を数に入れているのです。
生まれたら0歳ではなく一歳なのですよ。
ですから、数え年は誕生日を迎える前は、満年齢より二つ多くなりますので女性にとりましては嫌悪されるのです。

 生まれたら一歳という事は、遠い神代のときから変わらないもの、日本人としての核であり、新しい年に一つ年が増える事は人生の大躍進のための新しい生命、未来につながる命であるという意味が満年齢より二つも多くなる数え年に込められているのです。数え年をもう一度見直すことによって生命の尊さを再認識出来るのではないでしょうか。

その七 節分祭について

 節分とは立春の前日をいいまして、二月三、四日にあたります。節分はもともとは、立春・立夏・立秋・立冬の四季の分かれ目を意味した言葉であったようですが、特に立春の前日だけを呼ぶようになりました。

  節分はもともとは、立春・立夏・立秋・立冬の四季の分かれ目を意味した言葉であったようですが、特に立春の前日だけを呼ぶようになりました。
これは、二月の節分が年の始めの前日、つまり一年の境である事と、気候が冬から春に移る時期である事、いわゆる一陽来復した翌日は春となる事から特別な意味を持って考えられたからです。

  古くは「せちぶん」といわれていました。節分豆といって煎った大豆を撒いて鬼を追い出し、厄払いをする風習は、中国からきたものでありまして、現在では豆撒きと言っていますが、昔は「追儺(ついな)」「鬼遣(おにやらい)」と言っていまして、宮中の年中行事の一つでありました。
毎年の大晦日に、疫鬼(えきき=疫病神・病気の神)を追い払う為に行われていました。
大晦日に行われましたのは、大晦日を一年の締めくくりと考え、立春をお正月と考えられたからでありましょう。このことは、節分が地方によって、節変わり・年取りなどと呼ばれていることからもうかがえましょう。新しい季節に入るので、邪魔や災厄を祓う行事の意味があったのです。

 一般の家庭でも行われる豆撒きの行事は、宮中の行事が伝わったものであります。ふつうは、一家の主人が年男になり、「福は内、鬼は外」と唱えながら豆を撒いてゆきます。その後で自分の年の数だけ豆を拾って食べますが、これは、昔豆撒きが年取りの行事であった名残りでございましょうか。

 豆を使うには、「摩滅」という意味合いもあるようです。
また、家の入り口に柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を刺したものを差し出しておく風習もあります。これは、こうしておくと、疫鬼が柊の葉のとげに刺さって痛がり、鰯の悪臭にびっくりして逃げていくと考えられたからであります。
また、にんにくや葱・毛髪などを吊り下げておく地方もあるようです。いづれにしても家に邪鬼が入らないよう願ったものであるようです。

 本年も災いを避け大躍(厄)進飛躍(厄)の年となりますように願いを込めて、ご家族打ち揃われて、麗しき美風の「豆撒き」をされては如いかがでしょうか。

その八 鳥居について

 鳥居(トリイ)は、「ここから内は神様のおられる神聖な所ですよ」という標示の門、神域を示す門なのです。
最も古い形は、伊勢神宮等に見える神明鳥居です。門柱としてできたものが様式化されたもので、簡単な縦横共に二本ぐらいの素材で造られて入るが、ごく洗練された姿なので「鳥居はシンプルでノーマルで日本のシンボルだ」といった人もあります。

 何故「トリイ」というのか、いろいろ説があります。「通り入り」の「り」の字が略されたもの、鳥が止まっているもの、諸説ありますが、定かではありません。鎮守の森を背景にすっきりと立った鳥居の姿は、神社そのものの象徴です。

 当宮正面参道のトリイは、皇紀二千六百年を祝し、寄進されたものでありますが、五十七年を経ましても大型バス、トラックも進入可能なのでありまして、当時としては格段に大きかったものと思われ、寄進された平原さんの先見の目というものには感服させられます。

その九 熨斗(のし)について

 熨斗(のし)とは、進物の包みの上に敬意を表する為に付ける印で、元は干したアワビを薄く切って添えたものであります。
 
神社参拝の際熨斗袋(のしぶくろ)には、
「初穂料」(はつほりょう)「玉串料」(たまぐしりょう)
書くのが普通であります。
 
  初穂料の「初穂」とは稲穂の初々しく瑞々しいもの、「料」は糧(かて)であり、供え物として奉る神酒も稲穂(米)が原料であります事から元々初穂をお供えしていたものを時代の変遷により、便宜上「初穂料」と熨斗に書き、金銭を供えるようになったのであります。また、玉串料とは祈願の際、玉串(榊の枝に紙垂を付けたもの)を奉って拝礼するというところから、その名称が付けられたのであります。
ご神前には清酒もお供え致しますが、この場合の熨斗には「奉献酒」、或いは「御神酒」等と書きます。
当宮では、御神楽、出張祭典の際のお供えの金額は決めておりません。金額が少なかろうが多かろうが、その人の精一杯の気持ちであるならば、必ず神の御心に通ずるものと考えます。

その十 方位除け(ほういよけ)について

 皆様は、三月金神(みつきこんじん)さんの事は、 聞いた事がおありですか?
金神(こんじん 方角の神)この神の方角を凶とするのでありまして、金神四季移行は、
二月立春より五月立夏前
五月立夏より八月立秋前
八月立秋より十一月立冬前
西
十一月立冬より二月立春前
 これを通称三月金神(みつきこんじん)といっております。昔よりこの方角に引っ越しや増改築の工事、嫁入りや旅行等をすると災いが起こると忌み嫌う習慣があります。しかし、今のご時世でありますから、障りがあるからといって三ヶ月も引っ越しを延期したり、工事の着工を遅らせたりしますと私どもの生活に大きな支障をきたしています。そのような時には、方角除けのお祓いを受けられ方位除けのお札をお受けになられまして事を運ばれた方が宜しいかと思います。当宮でも、方角除けの昇殿御神楽あるいは、移られる家、工事をされる現場に出張しての祭典も執り行っておりますので、お気楽にご相談くださいませ

その十一 祝宴などの締め括りに行う手絞めについて

 手絞めとは、物事の落着や無事な決着を祝っておこなう拍手の事でありまして、取引や和解などが成立した際に、双方が揃って手絞めをすることを手打ち式とも言います。

 拍手とは称賛や喜びを表す万国共通の表現でありまして、わが国では「魏志倭人伝」に偉い人に対する敬礼の作法として記されています。
このことは、神社の参拝に際してまして、神様に対しておこなう拍手として現在も引き継がれています。
地域によっては、一本絞めや三本絞めなどさまざまな流儀はありますけれども、お互いの意思を確認し一致団結を図っていくために、古くから伝えられた大切な生活習慣であります。

 ちなみに、当宮の維蘇志会にもオリジナルの「維蘇志会三本絞め」というのがありまして、「ヨオウ!」で拍手を一回、「もう一つ」で拍手を二つ、「祝うて三度」で拍手三回と末広がりで終わり、締め括りには会員一同で行い結束の意思を確認しています。

その十二 正月飾り(門松・注連飾り・鏡餅)について

 新年の風物詩として門松や注連飾り等の正月飾りがあります。
普通、皆様方は年末の内に飾り付けを済まされるものと思いますが、三十一日にそれをするのは「一夜飾り」といって嫌われ、三十日までに済ませるしきたりがあるという事はご存じだったでしょうか。

 ふるくは、木の梢等に神が宿ると考えられており、門松はその縁り代媒体)として、家の門戸に立て、そこに年神(としがみ)様を迎えて祭るという意味を持っていたのです。従って、正月の年神祭りは非常に重大であり、しっかりと年神をお迎えしないと、その年は不幸になると信じられていたのでです。そこで、玄関には注連縄を飾り、禍事・汚(けがれ)を寄せ付けないようにして、丁重なる年神迎えを行ったのです。

 また、家の内では床の間等に鏡餅を置きますが、もともとこれは、年神様にお供えするお餅なのであります。鏡餅という呼び名は、文字通り鏡の形に由来するのですが、昔の鏡は丸型のものが多く神事に使用され、宗教的意味合いが濃かったのです。 
その為、鏡餅は歴代天皇が継承する三種神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)を形どっているともいわれています。そのお下がりの鏡餅は、家族一緒に頂き一年の幸せを祈るのであります。

その十三 古札焼納とどんど焼きについて

一、古札焼納=一年間家や家族を守っていただいたお札、お守り、又、正月神社でお受けした矢、熊手等縁起物を古式神事を経てお焚き上げ致します。

一、どんど焼=どんど焼きは、お正月お迎えした神様(歳神様)をお送りする日本の伝統的な行事です。お焚き上げの火や煙には歳神様の力によって、一年間の様々な災厄を祓い清める力があるとの信仰のもとに、今日まで伝えられて参ったのであります。
この伝統行事を守り後世に伝えてゆくためにも、当宮では、どんど焼きを続けて行く所存でございます。

 そこで、年末年始古札また正月飾り等当宮へ持参される皆様方へ左の点につき御注意、御協力をお願いします。
①神社のお札お守りは守札収納所へ納めて下さい。
②ビニール袋より出して、ビニール袋はお持ち帰り下さい。
③正月飾りのダイダイは取り外して御持参下さい。
④どんど焼きと関係のない物の持ちみはしないで下さい。
 例=結納品、人形類、仏壇仏具等
⑤詳しくは、当宮にお問い合わせ下さい。

その十四 節句について

 古来、稲作を中心に生活を営んできた日本人にとって、四季の移り変わりはとても大切なものでありました。季節の節目ごとに農作業の無事や豊作を祈り、それが五節句やお正月等に代表される日本の年中行事です。近年段々と忘れられているようですが、それてせもお花見や紅葉狩りを等を楽しむ姿を見ると季節の恵みや変化を大切にしている事がわかります。
その他の節句として、桃の節句、端午の節句等がありますが、この節句に飾るひな人形や鯉のぼりは、子供の健康、健やかな成長を祈るあらわれでありましょう。

 核家族化等居住形態によって伝統的な行事の意味合いや風習が伝わりにくくなりつつありますが、家族の健康を祈る姿はいつの時代も変わるものではないと改めて考えさせられます。年長行事とは、家族を大切にしていくことにより自然と親から子へ子から孫へと伝わっていくものであると考えています。

その十五 七夕(しちせき)の節句~七夕まつり(7月7日)

 七夕(たなばた)は、彦星と織姫が年に一度だけ天の川に橋をかけて会う事を許された日という言い伝えで親しまれています。これは、仕事を怠った罰として天帝に牽牛星(けんぎゅうせい)との仲を裂かれた織姫星が、一年に一度、この夜だけ天の川の橋を渡って会う事を許されるという中国の伝説にもとづくもので、奈良時代に日本に広まり、平安時代、裁縫がうまいとされた織姫を祭って、裁縫や習字の上達を祈る風習を生んだのであります。

  我国では古来、食物の神様に感謝する収穫祭と、お盆に祖先の御霊(みたま)をお迎えする前に、棚機女(たなばたつめ)とよばれる娘が御霊の衣服を織り棚に供え、村のけがれを祓う行事が行われてきました。そこに中国より先に記した伝説にもとづく星祭りと乞巧奠(きこうでん)の風習が入ってきて、笹竹に願い事を書いた短冊を結びつけて祈る行事へと変化してきました。

  乞巧奠の『乞巧』は技能や芸能の上達を願う意味で『奠』は祭りを意味します。宮中での節会が我国でのはじめとされており、そこから民間でも織物が上手な織姫星をまつり、手芸や裁縫の上達を願う風習として行われるようになりました。
七夕の次の日に笹竹を川や海に流す『七夕流し』は、心身のケガレを流すという祓いの意味が込められています。

その十六 人日(じんじつ)の節供

 人日の節供は、お正月の七草粥としてよく知られていますが、古く中国では、正月七日の天候によって一年間の一般人事を占ったところから人日の節供とよぶようになりました。
 
 日本には、もともと、この日に若菜を神様にお供えし、それをいただいて豊作を祈る習慣がありました。そこに、中国の人日に七草のお吸い物を頂いて無病を祈る習慣が重なって七草粥を頂くようになりました。
また、これに因んで「七草を囃す」とか、「七草爪」という言葉がありますが、前者は、当日の朝、または、前日の夕方に春の七草をまな板にのせ、「七草なづな、唐土の鳥の日本の土地へ渡らぬ先に、七草なづな手に摘みいれて」などと、はやしながら刻んだ風習であります。「七草爪」は、7種の菜をゆでた汁にひたして爪を切った風習で、邪気を払うという意味合いがあります。
いずれも、七草という寒い季節を乗り越えて芽を出す若菜の力強さ、逞しさを分けてもらいたいという願いが込められているようです。
 
〔春の七草〕言えますか?
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、スズナ(カブ)、スズシロ(大根)、ホトケノザ

その十七 更衣祭(ころもがえのまつり)

 更衣祭とは、読んで字の如く神衣を新しく換える祭儀です。中古、宮中では旧暦4月と10月の1日を更衣の日とし、4月には冬装束を夏装束に換え、10月には冬装束に改めた。神祇に対しても更衣を行う例が多く、伊勢神宮では今も5月、10月に神御衣祭(かむみそさい)が行われています。

 慣前(ぬきさき)神社(群馬県)では神機織神事、熱田神宮、明治神宮では御衣祭、賀茂御祖神社、熊野神社(島根県)、大山祇神社(愛媛県)、大宰府神社(福島県)では更衣祭として夏冬の二季(または一年一度)行われています。この種の神事は、もともと祭典の予備行為として、潔斎を行って、神衣を改めたのが、人間と同様な季節的行事となったとみられます。

その十八 御霊舎(みたまや) 祖霊舎(それいしゃ)

 各家庭におきましては、必ずと云って良いほど仏壇が設けられ、ご先祖様の位牌を安置して先祖供養がなされていますが、実は、神社神道(じんじゃしんとう)でも、神を敬い祖先を尊ぶ「敬神崇祖(けいしんすうそ)」の心は同じです。

  神道により死者を弔う儀式、お葬式をする家を神道家(しんとうけ)あるいは神葬家(しんそうけ)と呼びます。神道の家で仏壇にあたるのが御霊舎(みたまや)です。その御霊舎の祠に先祖の霊魂の依代(よりしろ)である霊璽(れいじ、仏教でいう位牌)を奉安し、御霊を和めおまつり申し上げます。装飾や拝礼の作法などは神棚に準じますが、神棚とは別に一段下げ別格のものとして設けられるのが普通であります。
仏壇はもともと仏像を安置する壇であって、位牌を安置する所ではなかったのですが、平安末期から中国の儒教の祠堂(しどう)にならって、仏像と位牌を一緒に安置するようになりました。

  さて、祖霊舎とは、性格的には御霊舎と同義でありますが、それよりも更に大規模なものを指す語に用いられる事が多く、神社の神域内に設けられ、氏子の祖先霊をまつる境内の社や神道家(神葬家)の屋敷内に設けられ、先祖霊をまつる邸内の社をいいます。明治19年には、祖霊舎の建立が禁止されておりましたが、終戦後、氏子の方々の要望等により再び設けられるようになりました。

  当宮の祖霊舎は、平成3年に改築なされたもので、それを機会に家の宗旨が神道の方々の集まりが設けられ、その名も「神道会」を組織しました。春と秋に合同の祖霊祭(それいさい)を執行し、また、年一回、神社参拝旅行を行っています。

その十九 十干十二支(じっかんじゅうにし)

 干支(えと)は紀元前より日数を刻む目安として用いられています。
年、月の計数については、時代の流れの中で、太陰暦から太陽暦への移行などの改暦により、大幅にずれ、或いはその日数自体が消えてしまったりしますが、干支による計数だけは、如何に暦法が変わろうとも、我国の皇紀年のように連綿と狂いなく継続されてきました。

  干支とはご周知の通り、甲子(きのえね)、乙丑(きのとうし)というような60種類の組み合わせであります。「干」とは10種の組み合わせ、「十干」、「支」は12種の組み合わせ「十二支」であり、この十と十二の最小公倍数(2つの整数に共通する最小の倍数)である60を計数上の周期とする事により、正確な年数計算が可能となりました。

  因みに、十干の「干」は、陰陽五行に起因する各物質元素の働きを司るもの(木・火・土・金・水)に通じており、甲(きのえ)は木の兄、乙(きのと)は木の弟、語尾の「え」は「兄」という意、「と」は「弟」という意で、その他の「丙」「丁」などにも共通な事でして、兄弟兄弟…とそれぞれの干が順に繰り返されます。十二支の「支」は言うまでもなく12の生き物(えと)の繰り返しです。

  これらの十干十二支には、それぞれに陰と陽の働きを持つものに分類され、十干において、陽は〔甲・丙・戊・庚・壬〕、陰は〔乙・丁・己・辛・癸〕であり、十二支において、陽は〔子・寅・辰・午・申・戌〕、陰は〔丑・卯・巳・未・酉・亥〕となります。陰と陰、陽と陽でしか結び付かず、陽と陰、陰と陽という組み合わせは決してありません。このように陰陽を順に組み合わせていくと十干十二支が出来、10と12の整数の中で2という公約数(互いに割り切れる数)が存在する為、60の組み合わせとなり、これを六十干支(ろくじっかんし)といいます。

  六十干支の60とういう数は、古くは人の寿命は50~60歳であり、その数に丁度適合し、一生を司る数というようなところから、年計算に用いられるようになりました。更には、十干(物質元素「木火土金水」の循環に起因)、十二支を利用した暦法の中に暦学なるものを見出し、その年毎の天候や国運などの予想推測(神占)に発展していったのではないでしょうか。
彦島八幡宮
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